お母さんは、週に 1〜2 回ほど近所の洋裁教室へ通っていた。
自宅で教えている先生の家には、まじこより少し年下の女の子がいた。
そこへ習いに来ている生徒たちの間にも、まじこと同年代の娘がいた。
洋裁教室は、家と学校の中間あたりにあった。
お母さんから「今日は学校が終わったらここに来なさい」と言われれば、まじこは大人しく
従うほかなかったんや。
お母さんは教室の生徒たちとすぐに仲良くなった。
当時は今のように LINE もポケベルもない時代。
友達の家へ行くときは、事前に約束をしておくか、さもなければ突然訪問するのが当たり前
で、互いの自宅を行ったり来たりしていた。
けど、お母さんとまじこが洋裁教室の友人の家にお邪魔することはあっても、お友達から我
が家へ遊びに来ることは一度もなかった。
あれは一体、なんでやったんやろう。
ミシンの音が終わるとき、胸をよぎる不安
教室に着くと、まじこは先生の娘と遊ぶか、大人たちがカタカタとミシンを踏む姿をただ眺
めて過ごしていた。
けど、終わりを告げるミシンの音が近づくにつれ、まじこの心には影が落ちる。
家に帰らなければならないという恐怖が、じわじわと不安を誘う。
息をひそめた階段の途中。お母さんへの暴力が始まらなければいい
そのころから、お父さんとお母さんの諍い(いさかい)は日常茶飯事になっていたんや。
それまでは週末のイベントのようやったのに、いつしか平日も、激しい言い争いを聞きなが
らまじこは夜を過ごさなくてはならんかった。

二人の間に暗黙のルールがあったのか、不思議とまじこの目の前で喧嘩が始まることはな
かった。
けれど、まじこがリビングを去ると同時にそれは始まり、次第にエスカレートして怒号へと
変わっていったんや。
姿は見えなくても、声は容赦なく聞こえてきた。
まじこは 2 階へ上がったふりをして、薄暗い階段の途中に座り込んでじっと耳を澄ませて
いた。
2 階の踊り場で息をひそめていることもあった。
激しい声を聞きながら、幼いまじこは何を想っていたんやろう。
その時のちびまじこでは、喧嘩の理由を突き止めて仲裁できるわけでもなく、「もうやめて」
と泣きつくことさえできへん。
いつ終わるかを見極めようとしていたのではない。
「お母さんへの暴力さえ始まらなければ、それでいい」――
ただそれだけの安心を、必死に探していたのかもしれんな。
だからこそ、何も見えない夜を明かした朝は、起きるのがたまらなく苦痛だった。
朝、リビングの扉を開けるまで、部屋がどんな空気になっているか分からへんし、そしてま
じこ自身も、どんな顔をしてそこへ入っていけばいいのか分からなかった。
お母さんやお父さんの顔色を窺(うかが)いながら身支度をし、黙々と朝食を済ませて学校
へ向かう。
それがいつのまにか、まじこの日課になっていたんよ。
まじこの中の「当たり前」や。
まじこは何も知らない「お泊まり会」
学校の帰りに洋裁教室へ寄ったある日、お母さんが言った。
「今日は○○さんの家にお泊まりに行くんだよ」
まじこはまだ、何も察していなかった。
ただ仲の良いお友達の家へ泊まれるのだと思い、なんだか嬉しかった。
お泊まり会のようなワクワクした気分だったんやろ。
その家の娘たちと布団を並べて寝る時間が、純粋に楽しかった。
お泊まりの夜は、お母さんもおばさんとの話に夢中になっていた。
だから、勉強をしなくても、漫画を読んでいても、お絵かきをしていても、誰からも怒られ
ない。
そこはまじこにとって、完全に守られた「安全地帯」だったんよ。
小学校 3 年生になるころから、お泊りの頻度は目にみえて増えていった。
あらかじめ告げられている日もあれば、突発的な夜もあった。
お母さんが親しくしている人は先生を含めて 3 人、週の半分近くを他人の家で過ごすこと
もあったんよ。
お母さんが事情を話してお願いしたのか、お母さんの紫に腫れ上がった顔や体についた痣
(あざ)を見て、おばさん達が「家においでよ」と手を差し伸べてくれたのか。
幼いまじこには知る由もなかった。
気づけばいつでも逃げ出せるように、「お泊まりセット」が常に準備されるようになってい
た。



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