人生のバグに振り回されがちな人や、日常でクスッと笑って気分転換したい人へ。まじこの波乱万丈な実体験エピソードをお届け中!

第11話 教育ママゴンの恐怖!ランドセルを二階から投げられた壮絶な思い出 

まじこのお母さんは本当にうるさい人だった。
優しい面も確かにあったけれど、その優しさはいつも“他人に向けたもの”だった気がすんね
んな。

仲の良い奥様たちには愛想よく振る舞う。
まじこが仲良くしている友達で、お母さんのお気に入りの子には、まじことおそろいのホッ
トパンツを作ることもあった。
成績のいい男の子のお母さんにも、先生にも、お母さんは外向きにはやけに丁寧だった。

お母さんは洋裁が好きで、まじこは小さい頃から誰かのお下がりか、お母さんの手作りの服
ばかり着ていた。
お母さんは「既製品は質が悪くて高い」と言っていた。

当時は既製品が量産され始め、子供たちの間にも流行りのようなものが少しずつ出てきてい
た。
まじこも本当は、襟のついたブラウスよりも、みんなが着ている T シャツのような服が欲
しかった。
鉄腕アトムやオバ Q、パーマンの T シャツを着たかった。

お母さんのレールの上、はみ出ると大怪我をする。

お母さんは、まじこの好みではなく、自分の好みの服をまじこに着せた。
この頃は家も経済的に困っていなかったから、お母さんは足踏みミシンでせっせと服を仕立
てていた。

お母さんの厳しさは当時のまじこからすると、まさに“教育ママゴン”だった。
勉強するときはいつもお母さんが横にいて、怒られてばかりいた。

漢字の書き順が少し違うとノートを指さして、「なんでこんなこともできないの!」と怒鳴
り、ノートの上を指でつつく。
まじこができないと教科書を放り投げ、「そんなこともできないなら学校へ行くな」と怒鳴
られた。

ランドセルの中身を二階の窓から全部投げられたこともある。
まじこは泣きながらそれを拾いに行った。

お母さんの怒りが完全に爆発したとき、まじこの左手の掌(てのひら)に鉛筆を刺されたこ
とがあった。
掌に穴が開いた。

その傷は大人になってもしばらくほくろの様に残っていた。
ちょうどその跡が消えたのは、お母さんが亡くなった頃と同じだった気がする。

ある日、お母さんの戦闘モードが限界まで高まっていて、まじこは髪をひっつかまれ、壁に
ある電気のスイッチに頭を何度も打ちつけられた。

当時は、学校の先生も厳しくて、先生が生徒にチョークを投げたり、教科書の角で生徒の頭
をコツンとしたり、生徒を廊下に立たせたりすることは日常だった。
だから今の時代のように、お母さんの行動や先生の行いも「DV」や「ハラスメント」とい
う認識は誰しもなかった。

ただ子供側が「言うことをきかない子」とレッテルを貼られるだけだった。

お母さんはある意味目立ちたがりで、参観日には必ず着物を着てきた。

共働きが少なかった時代だから、参観日にはほとんどのお母さんが参加し、皆ここぞとばか
りにおしゃれをしていた。
それは親ばかりではなく、子供達も参観日用の服を着せられていた。

その中でも、着物を着てくる親は少なかった。
まじこはすごく嫌だった。
誰に向けておしゃれをしなくてはならないのかわからなかった。

授業が終わると先生と親の懇談会があり、お母さんは何かと意見を述べていたのだと思う。
PTA にも必ず参加していた。

まじこはいつしか、クラスの子たちがお母さんのことを“教育ママゴン”と言っているのに気
がついていた。

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