人生のバグに振り回されがちな人や、日常でクスッと笑って気分転換したい人へ。まじこの波乱万丈な実体験エピソードをお届け中!

第9話 まじこのランドセル 

小学校の入学式に合わせて、お母さんがオレンジ色のジャケットと、ひだの入ったスカート
を作ってくれた。
ジャケットには、丸くて白い大きなボタンが三つついていた。

ランドセルはおばちゃんが贈ってくれた、赤いクラリーノ。
当時は「軽くて丈夫で水に強い」が売り文句で、ちょっとした流行りでもあった。

でもまじこは、そのランドセルがあまり気に入っていなかった。
色は朱色に近い赤で、ほかの子のランドセルとは微妙に違う。
使っているうちに蓋のカーブにしわが入る革のランドセルが、なぜかうらやましかったな。

まじこはこの頃、髪が長くてやせっぽちで、身体検査ではいつも胸囲が足りなかったんよ。
栄養失調の疑いで大きな病院に検査に行ったこともある。
そんな体に、この赤いクラリーノはやたら大きくゴツく感じた。

蓋は硬くて厚みがあり、少しテカテカしていて、背負うと“箱”を背負っているようなガバガ
バした感触が嫌やった。
肩のベルトはすぐ落ちてくるし、ごつくて嫌だったんや。

同じランドセルの子も他にいなかった。

みんなと同じじゃないから嫌だったのか、形や素材が苦手だったのか、今となってはよくわ
からない。

初めに入った小学校は家から近かった。
古くて大きな学校で、生徒もたくさんいた。
廊下は木で、広い階段があり、トイレはぼっとん。
「The 昭和」や。

教室の前側には、大きなストーブが置かれていた。

冬になって、学区編成があった。
それでまじこ達は新しい学校へ編入することになった。
当時は子供が多く、マンモス校が増えすぎたために区域を分けて新設校へ生徒が移っていく
時期だった。

その頃は 3 人兄弟、4 人兄弟の子が当たり前におって、学年は 5 組くらい。
一クラスは 45 人ほどいた気がする。

雪は漕いで歩くもの 

新しい学校は水洗トイレで、教室はセントラルヒーティング。
廊下は木じゃなくて、運動靴で歩くとキュッキュッと鳴る床だった。
通うには遠くて坂道もあり、ちびのまじこには長い道のりだった。

冬に新しい学校に変わったから、雪を漕いで通学する。
長靴の上には毛糸で編んだ脚絆(きゃはん)をみんな着けていた。
今でいうレッグウォーマーやけど、当時は親が毛糸で編んでくれていた。

雪の中を歩くと、脚絆は毛糸だから見事に雪が団子みたいに丸まってくっつくんや。
家に着くころにはそれが重くなって、まじこは雪だるまみたいになっていた。
家に着くとお母さんが箒(ほうき)を持って出迎えて、まじこの体についた雪を祓ってくれ
た。

まじこはほっぺ真っ赤で、手足はキンキンに冷たいし、鼻水は凍って鼻の下にへばりついた
まま帰ってくるんや。
そんな冬の通学がしばらく続いた。

通い始めの頃は、近所に同じ年の子がおらず、しばらくは一人で歩いていった。
少し歩いた市営住宅のあたりまで行くと、子供たちが蟻のようにどこからか湧き出てくる。
知っている子がいると、その子と一緒に学校まで行ってたな。

まじこは前の学校でも、新しい学校でも、友達はなぜかいつも男の子だった。

そういえば──思い出した。
小さい頃に住んでいたあのアパートで遊んでいたのは、水頭症の男の子だった。
二人でブランコに乗った記憶。
たしか前にその写真を見たことがる。

アパートの裏に大きな犬がいて、その近くで釘を打っていた記憶。
断片的だけど、ふっと思い出す。

新しい学校では女の子の友達もできた。一番最初に友達になったのはなんかスポーティー
で、かっこいい子やった。お父さんは建築会社の社長さんや。

その次は自転車屋さんの女の子。二人ともショートカットでかっこよく同級生なのにまじ
こは憧れていた。

家の近くでは、向かいの材木屋さんの女の子と一緒に登校したり、広い材木置き場で遊んだ
りした。

しばらくすると材木屋さんの隣に医院が建ち、そこにも女の子が住んでいて、よく遊んだ。
医院の姉妹とは「バレエごっこ」がお決まりで、よく真似事をした。

鼻水垂らして雪を漕いだり、材木の中でかくれんぼしたり、バレエごっこ
多種多様や。

学校の友達とは、帰り道にたくさん寄り道した。
当時 「1 円店」と呼ばれていた駄菓子屋があって、糸の先にいちごあめがくっついてくじ
なっているやつや、小っちゃいヨーグルトみたいなやつ。蓋をめくるとそこにもあたりがあ
った。
みんなでそこに集まったり、草むらで遊んだりした。

こうしてみると、少しずつ、遊んだ時のことがところどころ思い出される。

この頃は全く一人ではなかったんやな。

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